オーナーの独り言 Owner's Words


座間味島の自然と、ダイビングを愛するオーナーの

踵(かかと)の骨折

エンジンの修理やメンテナスをする為に船を陸揚げし、1月12日に修理の為に業者が右舷のエンジンを外して持ち帰り、13日、溶接するために落水防止の右舷のステンパイプのナットを外し、引き抜いたら勢い余ってバランスを崩し約3m下のコンクリートに落ちた。

引き抜いたパイプの上に落ちないようにパイプを真下に投げうまく飛び越え見事に着地した、と思った瞬間、両踵に激痛が走り動くことができない。

一緒に作業をしていた長男に抱えられ車で診療所に向かいレントゲンを撮ると、右足のカカトは縦に割れ骨折、左足は骨がバラバラになり粉砕骨折していた。

一晩家で寝られぬ夜を過ごし翌朝のクイーンザマミで病院に向かった。
病院でレントゲンを撮り先生の診断、「カカトの骨折は長引くのですよ、後遺症が残る可能性が高い、治るのにも1.2年はかかると言われた。」

数日後、レントゲン写真を見て左カカトは骨が細かく粉砕しているので手術の成功率が低い、又化膿する危険もある、と整形の先生数人で検討した結果両足とも手術はしないことになった。

結果、ギブスもまくこともなくリハビリも早く出来、治りも早く良かったと思っている。
入院したての頃は脳もうまく働かずトイレに行くときなど、つい片足をつきそうになったりすることがしばらく続いた。車いすからトイレに移る時など車いすを便器にくっつけても隙間があり両足を上げ、体操選手のように両手だけで乗り移るのでとても大変だった。(足が少しでもどこかに触れると電流が走ったかのように痛い)

入院して2日後から足の指を動かすリハビリが始まり、3日後には補装具の型をとりに業者がきた。
それから1週間後に体重を土踏まずで支えカカトが浮いている長靴の骨組みだけの様な補装具が出来上がってきた。片足7万円少し、両足だから15万円と結構高い。(後に保険でおりた)

補装具を履いたらすぐに歩行訓練が出来ると思い喜んでいたらそう甘くはなかった。
歩くどころか痛くて立つことすらできない。
補装具をつけて立ち上がるだけで10日ほどかかった、
それから平行棒をつかまえての歩行訓練に入り、その後松葉杖の練習も始まったが両足骨折なのでどうなるのかな、と思いながら、練習はどちらか片方は地面につかないとできない。
軸足は普通に骨折している右足になる、何かがおかしいと思いつつも、病棟の廊下を周るリハビリを始めた。

6週目に入るとベットの上で、内緒で一瞬素足で立ってみた、立てるもんだ!
最後の仕上げ、靴を履いての歩行訓練が始まった、
カカトへの負担を軽減するために足の状態に合わせた中敷きを入れるので少し大きめの靴を買ってきた。
杖をつきながら少し歩いてみた、歩き方がおかしい、歩き方を忘れている。
60年も歩いてきたのに、たった2か月足らずで歩き方を忘れるなんて、リハビリの先生に言われていたのは真実だった。
痛くないようにとカカトに全神経を集中し機械のように動いている、腕も内側にひねったりと、足と手の動きがちぐはぐ、いつもと違う、またまた脳からの指令が狂ってきた。

その後、歩き方の注意をされながら順調にリハビリは進み3月20日(入院生活2か月と1週間)ほぼ強引に退院して翌日座間味に戻ってきた。
初めての入院、病院での人間模様、一人では何もできない自分を見つめ直し、いくらか成長で来たかな、、、。

入院中はお見舞い、励ましの電話などありがとうございました。特に毎日看病に来てくれた妻には感謝、感謝です。又、今回リハビリの重要性を痛感しました、リハビリの先生方にとても良くしてもらい感謝しています。

バランスを崩し落ちたのは歳のせいです、自分は若いと思っている中高年の皆様気をつけて下さい。
      「お前には言われたくない? 余計なお世話でした。」

2012.年5月25日




ニシバマのアザハタとトウアカクマノミの話

よく聞かれることにニシバマのアザハタは何歳位ですか?
実際の年齢は私も判らない、わかることは30年前から住んでいたし大きさもほとんど変わってない。
住み家は現在のと北にもう1ヶ所あって2ヶ所のキンメの根を行ったり来たりしていた。
1ヶ所はほとんど砂に埋もれてしまった、現在の根と同じくホワイトソックスなど甲殻類が多かった。
10数年前からもう1匹(多分メス)が移り住み2匹になってから人気が出てきた。
訪れるダイバーが増え砂を巻き上げるので10年前からダイバーの人数制限をしている。

またニシバマといえばポンタの愛称で親しまれていたサザナミフグを御存知の方は多いと思う。
その頃は餌付けをしていたので餌を求めダイバーにまとわりついていた。

話は変わりアザハタが住んでいた北のキンメの根に行く途中の砂地に蛍光色のイソギンチャクが住んでいる、以前はクマノミが住んでいたけど10年程前からトウアカクマノミが居ついた。座間味のトウアカといえば阿護の浦に住んでいる水深3mのトウアカが有名だ、沖縄で初めて見つかったクマノミなので図鑑などに載っている。
話は戻りニシバマのトウアカの色が問題になっている、黒色がなく赤色も少し薄い砂地なので色あせしているといわれあまり人気がない、私にいわすればとても貴重なトウアカだと思う、クマノミの種類によってイソギンチャクとの組み合わせは大体決まっている。ハタゴイソギンチャク類にしか住まないトウアカがロングテングタルイソギンチャクと共生出来ているのが不思議なのだ。
色が違うのは共生しているいイソギンチャクが原因と考えている。
自然界で生きている海の生き物の生態解明は容易ではないがあれこれ考えるのは面白い

 2010年 8月31日




ザマミセーリング30周年を迎えました。


皆様に支えられ無事故で30年を迎える事が出来ました。

昭和52年に小さな民宿を初め、ダイビングやシュノーケリングのお客さんが遊びに来るようになりました。
最初の船はアメリカ製のトリマランボートで7人乗りの船外機でした、その後ヤマハの和船に変え、3代目は28年前ヤンマーの和船、4代目が26年前に新造船したティンガーラになります。

安全で楽しくが1番大事な事はもちろんですが人と人の触れ合いも大切にしています。
初対面の客同士でも共通の趣味&遊びを通じて年齢、職業、関係なくザマミセーリングを通じて友達になっていくのを見ると幸せな気持ちになります。

これからも長い付き合いをよろしくお願いします。

2010年3月8日 





ロハスなスタイル

我がセーリングでは当たり前のようなダイビングスタイルだが、ここ8年間水不足のこの島で改めて考えると、
かなりロハス(環境優しい健康的な癒される)ダイビングを昔から行っていた事に気がつく
リピータのお客様ならご存知だろうがここで紹介させて頂く。

まず1ダイブごとに島に帰るのでなく(朝から夕方まで船に乗っている)そのたびに宿で風呂に入る事はない。
また多くの時間海の遊びもでき、ダイビングの合間には波音を聞きながら、
お昼寝もできる。最高!

船には少しの真水を準備しているのでサーとシャワーを浴びる事ができる。
夏は日差しを防いで海風がとても涼しく陸上よりとても快適である。
冬は太陽の力でビニールハウスの中のようで暖かい
お湯を準備している。スーツの中にダイビングの後お湯を入れて温まる(これはかなり気持ち良い!)
滞在中のダイビング器材は最終日に船から下ろし各自宿で洗い梱包する。

ティンガーラはヨットである。これはまたエコですが帆を揚げる事はほとんどサンセットクルージングしかない。エンジンは小さい。
お陰で最新型の船に比べて足が遅い。ホエールウォチングにはあまり向かない
でも燃料もあまり食わない。自信を持ってロハスな船である。

2009年4月8日




世界で最強の生き物??

先月ニシバマで潜った時の出来事。
レギュレーターの中がおかしい、何かがいるような気がする。
気になって思いっきり吸うと口に何かがあたる、何回か繰り返すと、生き物が動いているように感じた、口を引っかくが痛くはない。

レギュを外しパージボタンを押して何回も振り回すが何も出てこない。
怖さもあるが、何故か又思いっきり吸ってしまう。生き物がいるのは間違いない
水深25mにあるアザハタの根につくと動きが止った。しばらくすると砂地に仰向けになってピクリとも動かないゴキブリがいた。しばらく見ていると、小さなベラが寄って来て見たことにない生き物を珍しそうに見ていた。
地球上に異変が起きても最後まで生き残ると言われているゴキブリも、水圧には勝てなかった。

 2007年11月27日 




魔法のフライパン


よくテレビのお料理番組に出ているようなフライパンを買いたいなと思い始めて、よくよく考えてみると今のフライパン(鉄)は結婚してから2代目。1代目は又吉家に以前からあったもの、家族の多さに買え換えてしまいましたが。
今のより少小さめの一生物が良いとかなと思ったり、健康的には油が少なくてすむテフロンも良いけど?
と色々調べていると丹精込めた鋳物職人の手作りの魔法のフライパンが目に留まった。

予約して購入まで2年半待つらしい。どうしようかと主人に相談。少しお高いが2年半あれば貯金もできるかな?忘れないかな?生きているだろうか?
とか色々思いをはせる

2年半後に来てこのフライパンは何年使えるのかな?
私達の一生は後何年?
そう思うとカウントダウンが始まっていることに気がつく
そう一年一年を大切に生きなければ、きっと後悔してしまう。
フライパンからこんな事を気がつくなんて。本当に魔法のフライパン!
お互いに苦笑い。山歩きをしながらの夫婦の会話でした。

2007.11 文江




魚の不思議な関係

 今回はキンメモドキと共生しているハタの話。
ダイビングの本やダイビングガイドがよく使うキンメの根、春先になると数ミリの赤ちゃんが大量に群れ根が見えなくなることもある。色は赤茶色で骨が透けて見える。

キンメの根には数種類の小エビや幼魚など小物が凝縮しダイバーには人気の高いポイントとなっている。弱肉強食の海の世界では弱い魚を狙ってギャング(ダイバーから見て)のような回遊魚がキンメを食べに来る。魚には電波がついているのかそれを察知し根の主がキンメを守る為回遊魚と戦う、ダイバーの皆さんはよく御存知で捕食シーンを何度も見ていると思います。根の中のハタはキンメを餌にしているので必至で守っている。

根の大きさによって数の違いはありますが大体クロハタが2匹ユカタハタが数匹一緒に住んでいる。
人間が見た感じでは食料としては1ヶ月ももたないような量ですが実際は来年まで計算して食べている。
そこが人間と大きな違いで何万年前からなのか判らないけどキンメの根にいるハタとキンメの仲は、人間にとって考えられない関係にある。何らかの原因で主のハタがいなくなったらキンメも1晩で0匹になる。
自分を食べるハタがいなくなればキンメにとって幸せだと考えていたら海の中の生き物は人間の考えが当てはまらない世界なのだ。
2007.11.10




カメラを持っているダイバーともたないダイバー


カメラを持っているダイバーともたないダイバーとはポイント設定や遊ばせ方など違ってくる。ガイドによってはカメラ派ダイバーを優先するというレベルの低いガイドの話をよく耳にする。とんでもない話である。中にはいい写真?を撮りたいが為に海中生物の迷惑を考えずサンゴの上に乗って夢中になっているダイバーもいる。 
潜る資格なし。

私の所でも1人で2個以上大きなカメラを持ってくるダイバーも何人かいる。
潜る時には時間差をつけて潜るか、場所を分けて潜らせている。一緒に同じポイントに潜らせるとカメラを持ってないダイバーが気を使っているとんでもない事態が起こる事もある。

カメラを持ってくるダイバーもカメラなしのダイバーも平等に楽しんでもらう為の工夫はいくらでもあるがダイバーは皆平等である。

一つだけ船の中がカメラだらけで人の座る場所がなくなるのは平等とはいえないかな?

2007年10月10日




悪天候で島に残されたお客さん

台風の余波と熱帯低気圧の接近で那覇からの定期船の欠航が続いている。
数日も続けばお店の品物が無くなり、残っている観光客はほしい物も手に入らず遊ぶ場所も無く、不便を強いられている。悪天候でも遊べる施設がないと夏休みは家族連れが多く可愛そうになる。

ミニ水族館は如何だろうか、以前から考えていたが見せるだけの水族館とは一味違う海の生き物との接し方など勉強にもなる施設が必要だと考えている。

  2007年8月11日





ダイビングガイドの質の低下
 


以前から問題にし課題にしてきたことだが最近また目立つようになってきた。
中性浮力もとれないダイバーを平気で魚の住んでいる場所に連れて行き、魚の住家やサンゴのある場所に案内している。海の生き物にとってたまったものではない、海の生き物を自然のまま見せることはそれなりのルールがある。
最低でも中性浮力はとれないと、海に潜らせてはいけない海の底に降ろしてはいけない。ガイドダイバーがきちんとホロウできれば別だが現状は難しい。

お客さんのダイバーに関しては事故のないようないように気を使い、海の生き物の命に対して軽く見ているように感じる、海の環境を守りながら生物のことを教え、環境保護に努めてほしい、お客さんだから断れないというガイドならガイドの資格なし。

   2004年8月14日




船舶トイレ

ティンガーラを造ってから(20年前)船にトイレを設置した。流す方法は海水を吸入し、便器の中を密封にし船のバッテリーでモーターを回し砕かせてから流す方法だがモーターの力が弱くうまく流れないことも多くダイビングの仕事以上悩むことも多くなっていた。
1人の人が1日に3.4回寒いときは4.5回使用するので、人数が多いと順番待ちをしていた。

今年に入りモーターの機嫌が悪くなることが多く、仕事を終えてからトイレ修理に時間がかかるようになってきたので思い切って便器ごと全部交換した。トイレは水面より低いので浸水が心配だったが、逆流もなくボタンを押せば瞬間に流れていく。何年も悩まされてきたのがこんなに簡単に解決するとは思わず時代についていっていない自分に反省。

  2003年8月7日




スカイパーフェクトテレビ

今年4月に4番地から36番地に引越しをした。
毎年やってくる台風そしてその余波が何日か続き、暇な時間ができるのでスカイパーフェクトテレビを設置した、映画なんてめったに見ることがないので楽しみにしていた。
6月、最初の台風が近づいてきたその時、アンテナも取り込んだ為映像が何も映らない。台風対策のたびにアンテナをはずし映像が映らずにガッカリ、他の家を見たら台風の時でもアンテナをはずしていない。台風のたびにアンテナをはずしていたのは我が家だけだった。

次の台風を楽しみに待っていた、船の台風対策を終え、家の周りをかたずけ、万全の体制で映画を見ようとテレビをつけたら画面がおかしい。ジラジラして映像が見えない。故障かと思い調べてみると上空が台風の雲のせいで電波障害がおき衛星からの電波が乱れている。風が弱くなる頃には台風解除の大仕事が待っている。その後すぐダイビングへ。何の為に取り付けたのか、いまだかって映画をゆっくり見たことはない。

 2002年10月10日




座間味はリゾート地でしょうか?


夏になると目立つのが、桟橋や、道路で水着姿で歩いている人。お店や、学校にも出没します。生活の場である住民にとっては憤慨です。

勇気を持って注意したくてもなにか恐くて出来ない。

「エー兄さん・・・」と沖縄のおばあのようにユーモラスに言えるほど修行は積んでいない。
島全体がリゾート地として勘違いされている人達そこには住民が生活して、子供たちも学校へ通っています。
せめて上着を来てくださいズボンをはいてください。

2002年8月9日   文江





島での台風

 
夏になると海のシーズンでダイビング、海水浴客が大勢訪れ島の人口が2.3倍に膨れ上がる、来るのは観光客だけではない台風も訪れる。
台風は海の中の洗浄や海水温を下げたり恵の水を与えたり自然環境になくてはならないものだが観光客にとってはイヤなヤツである。私達もときには自然の味方になりときにはお客さんの味方になり両方とも必要
である。

座間味ヘの交通の便はほとんどが定期船に頼っている、(小人数であればセスナも大分活用されている)  台風は最初から大きければ、それなりの対策をするが、ごく小さいやつが停滞し発達していくのが1番恐い。

気象庁の風力計も突風77.8mで止まり、計測できてない。何mで何時間何日吹かれるのか分からない台風に対しては、皆敏感になって当然であるが、台風が近付くと定期船の運航が早めにストップするので、今ついたお客さんをそのまま送り返す事もしばしばある。
沖縄を直撃すると言われた6号は入るお客さんには連絡し、いるお客さんは難民船のようにぎゅうぎゅう詰で帰し、万全の対策をしていたが、大きくそれ、全く影響すらない。

現在の最新技術をもっても、超大型台風の直撃予報が完全に外れたりする
台風のコース予想はそれほど難しいもので、自分の事だけなら対策をすればいい事だけど、観光客の多い島はこれからも定期船の運航に悩まされ、お客さんを帰すタイミングだけは間違えては行けない。
 
 2002年7月10日




テロの影響

毎年順調に伸びていた沖縄観光がおかしくなって来た。テロの影響で旅行者の減少、相次ぐ修学旅行のキャンセル、それに対し国は生徒1人あたり2000円の援助を決めた。
旅行業者も安売り競争で東京から6泊7日で2万4000円と常識では量れない料金まで飛び出した。
新聞にも目先の客を受け入れようとサービスの質を落とし、安かろう悪かろうの構図に陥り悪循環になっていると書かれている同感だ。

ここ座間味でも色々動きが出てきた。商工会に向けての集まり、昨年暮に阿嘉島ダイビング協会が設立され座間味ダイビング協会も来月設立予定。
ダイビングサービスがガイドの質を落とせば当然死につながる。そうなれば座間味観光も死につながる、我々はやはり原点に戻り安全資質の向上で頑張って行くしかない。

 2002年1月12日




お客さんの見送り

座間味の観光は7月終りから8月20まで約20日間が観光のピークだった。当時は高速艇はなく1日1便の座間味丸、片道2時間半。9人乗りのセスナも飛んでいたが当てにならなかった。座間味丸の定員は400人ぐらい。出迎えは民宿のおばちゃん達がほとんどだった。

特に見送りの時は色とりどりのテープが舞い、蛍の光が流れ、涙を流すお客さんも珍しくなかった。民宿のおばちゃん達はカチャーシーで見送った。今はそんな光景は見られない。周りを見渡しても知らない人が見送りをしている、中年のおじさんが1人混じって見送りをしていると恥ずかしい時がある、民宿のおばちゃん達に以前のように見送りしてほしい、おばちゃん達出て来い。

2001年6月17日




 
減圧症  

20年程前の出来事である。
戦後まもなく糸満の漁師が、アムロでハッパ(ダイナマイト)を入れたら、魚が古座間味まで浮かんだとの話しを島の漁師から聞いた。

翌日、追いこみ漁にその場所を潜って見ると、水深35m根は崩れていたが、魚は結構ついていた、早速網の準備にかかる.。メンバーは5人、この水深だと1人4本以上(網を入れるのに2本.魚を追いこむのと網を上げるのに2本)潜らないといけない。魚に合わせての追いこみ漁だから減圧症の危険が伴う。追いこむのに夢中になり3本目にエアー切れをおこした。
30mぐらいは、素潜りで潜れたのでパニックにもならず、落ち着いているつもりだったが、浮上途中で気を失った。生まれて始めて死を体験した?

長い夢を見た。(今でも鮮明に覚えているが恥ずかしくて書けない.)
気が付いたら水面にいた。生きている自分にビックリしながらもタンク交換し、又潜って行った。
この時すでに体に異常がきていた。耳が抜けずらくなっていた。皆が魚を追いこんでいるのを見て一人イライラしていた。やっと底に着いた時にはエアーも少なくなっていた。.魚が入っている網の底に入り引っかかっている所をはずしにかかる。その時空気が来なくなった。エアー切れである。自分のバカさ加減に呆れていた。

今度は完全にダメだと思った。不思議と又同じ夢を見ていた。
水面に上がったとたん気が付いただが、先ほどとは何かが違う。すぐに左手がしびれてきた。急いで船に上がり新しいタンクにハーネスを取り付けてもらい、急いで桟橋に向かう。
まだやった事のないフカセをしなければならない。左手は痺れから針で刺すような痛みに変ってきた。桟橋の近くまで来ると何百本もの針で刺されている激痛に変って来た。

急いで桟橋で潜る。水深は5mだった。10分ほですると痛みが和らいで来た。20分ほどで痛みは完全にとれた。ホットしながら今度は3mで30分の減圧に入る。上を見るとみんな心配そうに私を見ている。恥ずかしくて上がるのがいやだった。後遺症なのか左手はしばらく力が入らなかった

それも1ヶ月ほどで治りその後はなんともない.

2001年5月31日





危険なダイビング船

ダイビングガイド&船長を始めて27年になる。ガイド本数も1万本、を超え海の恐さ難しさが身にしみて分かってくる。
最近はダイビングサービス.ダイビング船が増え沖縄本島からも多くのダイビング船がやってくる。そのおかげで事故の話しもよく聞こえてくる。
潜っているダイバーの吐き出す泡を見る事が出来ないのか、平気でその上を通り、ダイバーの近くにアンカーを落とす。.危険度の認識の違いなのか、私には到底理解出来ない。

今までは客のレベル、風の向き、潮流などを考え潜っていたが、これからはダイビングボート、.アンカーの危険性も考えないといけないとは情けなくなってくる。 
   
  2001年5月21日



 
 
海での不思議な出会い
今回はウミヘビ.イルカ.マンボウの話し

23.4年前、独身の寂しい月夜の日に、ウガンで釣りをしていた。
はじめ、東の方からピチャピチャという音が聞こえ、だんだん音が大きくなって来た。
月夜でとても明るく周りを見ると、見渡す限り、ウミヘビだらけ。全部20cmほど海面から頭を持ち上げ、船を避け西に向かって行った。何万匹なのか判らないが、通りすぎるまで30分ほどかかった。その時は船に上がって来るんじゃないかととても恐怖にかられた。

15年程前.子供を連れて夕方カツオ釣りに出かけた。ガヒ島からイジャカジャに向けてトローリングした。
その日は大潮でマンタが多くいたる所に浮いていて、釣りにならない。子供がマンタがいるからカツオが釣れない。マンタがいなければいいのに、と言っていたのが印象に残っている。その後今度はサメがいっぱいいると言い始めた。

良く見るとイルカがイジャカジャからヤカビのリーフの中まで(幅1キロ)、長さは判らない北から南へ向かっていた。2.3百の群れはたまに見るが何万?のイルカどこに行くのか不思議な世界だ。

5年前シル(ザマミとアムロの間)の浅瀬に大きなマンボウ(2.5m)が横になってパタパタしていた。浅瀬から出そうと思って妻に連絡したら妻は漁協にマンボウ買わないかと交渉していた。私はマンボウをつかまえ一緒に泳いで沖まで連れて行ったが2時間程かかりくたくた。今だかって恩返しがない。どういう訳かビデオにも
収まっている。

2001.4.17





座間味の成人式

 
 1月7日成人式.前線が近くにあり大雨&強風。船は全便欠航で式も出来るかどうか危ぶまれた。お昼に前線が通過し午後2時からの式辞.祝賀会は予定どうりとまではいかないが、多くの村民がお祝いに掛けつけ無事終了する事が出来ホットした。
今年の成人は座間味3人、阿嘉1人の4人でした。妻は子供の為に張りきって去年からお祝いの時の踊り(かぎやで風)を練習していた。
この踊り難しいらしく子供の成人式を祝うどころではなく、本人の初舞台の事で頭がパニック状態になり前日の夜は寝てないらしい。

その日の出し物は阿佐.阿真.座間味の婦人会の踊り.青年会のクジラ太鼓など感動あり笑いありの楽しい成人式でした。その後各家を回ってくるので私達はもてなしの料理や飲み物の準備で大忙し。家でもサンシンを弾き、太鼓がなり、カチャーシーで夜中迄宴会が続く。島の人はもちろん常連のお客さん、座間味の学校で英語を教えているオーストラリアの先生2人&その友達のイギリス人2人。我が家も国際色豊かになりふしぎと英語と酔っ払いの言葉が通じ、会話が成り立っていた。
今日、批判されている成人式とは違い、地域の人々による暖かい成人式で、親としても本当に有り難いと思っている。

2001.1.8





忘年会

 今年も12月の第一土曜日は神戸.日曜日は岐阜と楽しみにしていた忘年会に参加させてもらった.12月前半の沖縄はまだ暖かく、関西空港に降りると空気が冷たく身が引き締まる。
土曜日はいつもお世話になっている神戸の草野チームの大忘年会。知っている顔が次々と会場に入って来る。皆笑顔で挨拶とても幸せな気分になる。この為に神戸に来た。

今年は遠方からの参加も多く、この会も幅広くなってきた(新潟.東京.広島.和歌山.沖縄オクマ)食べ物も豪華で和洋なんでも揃っている。
いつも食より酒に重しを置いていた私だが、今回は逆転していた。

翌日は岐阜へ。電車に乗る機会がほとんどないのに新幹線で移動。
これまた難しい.岐阜での忘年会は今年で3回目になった。会の名前も決まり、 島んちゅの会 になった。我が大将の個性豊かな方々で1人2.3人分の賑やかさである。このメンバーが集まれば何が起きても不思議ではない(説明するのは難しい)。
10年ほど前体験ダイビングがほとんどだったのにいつの間に全器材そろえカードを取ってきた。毎年メンバーも増え、海の生き物に気を遣い安全面にもしっかりして来た。

嬉しい限りである。連日の暴飲暴食で、体は辛いが私には年に1度の大きな行事である。神戸の皆さん岐阜の皆さん有難うございました。

2000. 12. 15




タバコをやめて1年

 去年の11月1日にタバをやめから1年がすぎた。タバコを持たないとなにも出来なかった私がである。今は太った体を元に戻そうと山歩きをしている。高月山から稲崎の林道を通り阿真部落へ降り海岸線から帰る約1時間30分の道のりである。
途中小鳥の鳴き声や植物が目に付き、座間味の四季の移り変りが見え、山の素晴らしさを知る事が出来た。冬は風が気持ちよく、山からクジラが見え春は山桃.野イチゴ.ケラマツツジ.ツバキなど。夏は忙しくあまりいけない。秋はシークアーサー.グアバがいっぱい実っているが誰も取らない。分からない花など帰ってから図鑑で調べ楽しんでいる。

帰ってからの楽しみがもう一つあるビールである。
これが格別にうまい.おかげで腹がへっこまない。でもこれでタバコは完全にやめきれたという自信がついた。10日程前1年分のタバコ代がたまったらしく(ほんとはたまってない)妻と旅行に行ってきた。いい事ばっかリで禁煙を勧めてくれた皆さんに感謝しています。

2000.11.21   




昔の台風対策

 10年ほど前までは、台風が近づくと村中に船の台車を引く音が響き、人々が右往左往お祭り騒ぎのよう空気に包まれる。船が道を占領し人が道を歩けない状態だった。
早く揚げる人は風あたりの弱い狭い路地から埋まっていき、遅い人は海の側の道路で台風対策をしていた。

船がひっくり返らないようにロープをクモの巣のように張るので、人間も通るのがやっと台風が通り過ぎない限り、車は緊急事態があっても動かす事は出来なかった。自分の家の前に船を止められた家主は可愛そうだった。家の前の道幅ぎりぎりに船を止めてあるので、外に出ることが出来ない。それでも台風の時は皆我慢していた。

たかが10年ほど前の事だが昔の事のように思われる。そんな状態も、船揚場が整備されて台風時のお祭り騒ぎがなくなった。
現状は良いのだが大きな行事がなくなったようで寂しい気持ちになる。

2000.9.12




座間味の成人式

  今年から、成人式が連休になり、今までは島で成人式を迎える新成人は数名あるかないかと寂しいものでしたが、今年は三島(座間味・阿嘉・慶留間)合同で、6人の新成人が1月9日総合センターにて村民の祝福
を受けました。

式典、祝賀会、が盛大におこなわれ、各地区より琉球舞踊や楽しい演芸、長老者からの成人の意味を説く言葉、親はもちろん地域が皆で祝い励ます会でした。

  昨今、成人式の意味が問われるなかで、座間味の成人式は、本当の意味のあるものだと思います。
高校進学で5年前に島を離れた子が、子供のころの面影を残しながらたくましく変身している姿を地域の皆に見せ、祝福を受ける。
  そして、またそれぞれ遠くへ巣立つ。きっとこの成人式は、彼らに故郷のあたたかさ、たくさんの人に自分は期待されていることを、感じさせたに違いないと思いました。彼らは期待に違わず素晴らしい大人になっていく事でしょう。

2000.1.13

 

禁煙

 11月1日からタバコを吸っていない。別に病気でもない。
私の回りの人達にタバコを吸う人が少なくなって来た。
やめた人が多い。自然に私も吸えない状況を作り上げられた感じになって来た。
 1日40本30年も吸い続けていたので少し不安もあったがイライラする事もなく1ヶ月以上が過ぎた。大丈夫だとは思うが時々タバコを吸う夢を見てビックリして起きる事がある。
まだまだだ!

 それとは別に一つ困った事がおきた腹が減る。ご飯の量が多くなり、今まで間食などほとんどした事なかったけど次の食事まで待てない、少し太って来たのだ。
 当然といえば当然だが、これではいけない! 
そこで、また一つ仕事が増えた。体重を減らす為走る事にする。
今は毎日ゆっくり30分クジラ公園で走っている。

1999.12.21


漁業組合への迷惑料。

20年程前漁民からダイビングサービスへ文句がきた。
原因はニシバマや魚の住家として設置した人口漁礁などにダイバーを入れたからだった。
解決策としてお金を払い潜らせてもらう事になった。昭和59年から迷惑料としてお金を支払い、漁民もそこで漁をしないとの事で解決したいきさつがある。

お互い納得して出来た協定があるからトラブルが起きてない。もちろん現在も同じく支払いをしている。

1999.11.29




 

イジャイ

冬場の座間味の人の楽しみの一つ「イジャイ」についてのお話しです。
聞き慣れない言葉ですが、海の潮の満ち引きは夏場は昼間が大きく、冬場は夜が大きいことを知っていますか?

イジャイとは真夜中の潮干狩り。
これにハマッタラやめられない!!
今シ−ズンは、先日から始まり、今朝方2:00頃はマイナス20cmになりました。
もちろん、潮干狩りの大好きな私も行ってきました。

潮干狩りとは内地で言うアサリ取りとはちょっと違います、いやかなり違うのです。
モリと籠、懐中電灯、長靴の装備で。潮に合わせて真夜中に出発、ちなみに昨夜は0時でした。島の回りを囲んでいる海中の珊瑚礁(リーフ)が干上がり、その上を懐中電灯の明かりを頼りに歩きます。

懐中電灯の明かりに照らされ珊瑚礁が神秘的に浮かび出て、見るだけでも楽しい。
そこに居る生き物が安心して出てきたところをゲットする。
タコ、サザエ、イモ貝、エビ、魚など収穫があるとなお楽しい。
帰りは3時半過ぎでした。

昨夜は今回で3回目、この為にわざわざ千葉からいらっしゃた小林さんご夫婦とそのお友達も参加、今夜も行くという。私は4日連続なので体力がもつかな。

このイジャイは座間味の昔話のキジムナ−(木の精)の話しにも良く出ています。
キジムナ−は、よくイジャイに行くそうです。どうしてか?魚の左目が好きで左目だけ繰り抜いた魚を、友達の人間にあげると言う。但しタコは苦手だときく。他には「お な ら」が嫌いだとのこと。

戦前はイジャイに行くと青い火、赤い火が、海の上をサッ−と動いて、それを当たり前に村人は見て、
「あ−今日もキジムナ−がイジャイをしている。」と思ったそうです。

この話しは、どのお年寄りに聞いても同じことを言います。まだ、キジムナ−にあったことは無いのですが、そんな期待もできる。真夜中の海遊びです。

1999.11.25  又吉 文江


 
























































































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